コラム

戦没学生のメッセージ ~終戦の日を前に想いを込めて~

No.57|2017年8月5日

 

 

 7月末の暑い日曜の午後、東京藝大奏楽堂で「戦没学生のメッセージ、戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」という東京藝大130周年記念の音楽会が催されました。

 

 

 終戦の日が近づくと戦場に散った若人達の様々な物語がテレビドラマなどで企画され、戦争の空しさ哀しさを改めて想いおこさせてくれます。私の子供の頃は両親をはじめ大人たちは皆、悲惨な目に合い、身内には戦死者がおり、近所には南方で片腕を失って帰還した人や、戦場で精神を病んで戦後も兵隊の格好のままで野良仕事を手伝っている人がいたりして戦争は身近な話でした。しかしながら戦後70年たった今では戦争を体験した人も少なくなり、遠い昔の出来事になってしまいました。

 

 戦況が厳しくなると学業が本分の学生達が動員されて戦場に駆り出され、昭和18年10月に明治神宮外苑競技場で挙行された出陣学徒壮行会のニュースフィルムは何時みても雨に濡れ、気負って緊張した面持ちの学生達の行進に身の引き締まる哀燐の思いを起こさせ、二度とこのような事が起きない我が国である事への願いを祈らずにはおられません。

 

 さて動員された学徒の中には多くの才能あふれる音楽学生もおり、卒業を待たず出征し、多くの学生が戦死したと言われています。この度、同大学設立130年を機にアーカイブズ教室の努力によって偶然遺族のもとに残されていた戦没学生の貴重な作品が収集され今回の音楽会が催されたのです。
銃剣とは無縁の真善美を追求する芸術分野の学生達が志し半ばで遺した作品ほど平和の尊さを私達に訴えかけるものはないと思います。

 

 12年前の粉雪がちらつく寒い2月の日曜日に、NHK日曜美術館で紹介されて興味を持った戦没画学生の絵画展を見に東京ステーションギャラリーを訪れました。そこでは戦没画学生達の出征前に描いた、愛する妹や婆やんの肖像画、パリ留学を夢見て描いたであろう故郷の風景画、「せめてこの絵具を使い切ってから征きたい」と新婚の妻に告げて描いた、生きた証しとしての自画像、「あと5分、あと10分この絵を描かせてくれ・・・」と家を離れる直前まで絵筆を離さず出征し、そのまま帰る事なくルソン島で戦死した画学生の作品など、画学生の無念さと気迫のこもった多くの作品を目にして、私はあふれる涙を抑える事ができませんでした。どの作品も素晴らしく戦後生きていたら皆、日本を代表する画家になっていたに違いないと確信させる作品ばかりでした。今これらの作品は、信州・上田の郊外の丘にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」に常設展示されています。

 

 さて今回の音楽会では4名の戦没学生の作品が演奏されました。どの曲も素晴らしく、演奏者も超一流でした。無題(アレグレット ハ長調)と言う曲は東京藝大の学長がバイオリンを演奏し、学部長がピアノ伴奏で聴衆を驚かせました。また一部焼失を免れたオペラの楽譜の「白狐」の中の「こはるの独唱」は日本的な旋法がドビッシー風の和声に乗せて歌われると評されたアリアで、我が国のメゾソプラノの第一人者である東京藝大教授の素晴らしい歌に会場は感動に包まれました。作曲者の学生Mは終戦直後にフィリピンのジャングルの中で自決しています。最後の瞬間に痩せ衰えた彼の脳裏にもあの優美な旋律が流れたに違いありません。満員の聴衆は通常の音楽会よりも平均年齢がやや高く、学生達の遺族と思われる御高齢の方もいらっしゃいました。
無念にも戦場に散った学生達の死を決して無駄にしてはいけないとの思いと、平和の尊さを心から希求する素晴らしい音楽会でした。

 

 ホールを出ると夕暮れの上野の森から蝉の声が聞こえてきました。  

 

   森 論外

 

 

 

理事長 弘岡泰正

 

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