コラム

S教授と補助人工心臓 ~進む国際化とその先の医療を想う~

No.63|2019年4月13日

 

 

10108003 先日、ある医科大学主催のパーテイーで蕎麦コーナーに並ぶゲストの見覚えある後ろ姿に思わず「K先生ではありませんか?」と声をかけました。その先生は振り向いて私の顔を見るなり満面の笑顔で「やあ先生、30年前の新潟での胸部外科学会総会で先生と座長を務めた元恩師との白熱した議論を今でもよく覚えていますよ。」と懐かしそうに言いました。
遠い昔の事で恩師もとうに亡くなり、私がやや尖っていた頃の若気の至りのエピソードです。

 

 K先生は私とほぼ同世代の心臓外科医で、人工心臓の研究に取り組みその後東大の教授となり、現在では我が国の補助人工心臓の代表者の一人となっています。私が心臓外科医だった頃は、弱った心臓に対してそのポンプ機能を助ける補助人工心臓の臨床応用に向けての取り組みが緒についたところでした。1980年代の後半に埼玉医大が中心となり関東地区の心臓外科手術を行う施設が集まり、東洋紡製(国立循環器センター型)補助人工心臓の治験を目指す事になり、私も大学を代表してメンバーに指名されていました。
臨床応用に向けて一定期間、各施設に補助心臓装置を貸出し犬の実験で技術を習熟し実際の臨床に備えるものでしたが、K先生はその組織の事務局を任されていました。そのK先生から「弘岡先生は我が国の補助人工心臓治験の最初の術者でしたね。」と言われ驚きました。そして残念ながら第一号の患者さんを救う事が出来ず、心臓外科医から手を引きたいと思うきっかけになったかもしれない若き日の苦い思い出がよみがえりました。

 

 30年前の夏の暑い日の午後、私は大学病院の外来で患者さんを診ていたところ、至急手術室に来て欲しいとの連絡が入りました。何事かと手術室に急ぎ来てみると、なんと消化器外科の手術室の血まみれの床の上で、先輩のT助教授が横たわる大柄な男性の左の胸を切り開いて、直接心臓のマッサージをしているのです。手術台の上には別の患者が手術の最中で、お腹を開いたままでその手術助手をしていた術者が呆然と立ちすくんでいます。私が「何事ですか?」と叫ぶとマッサージをしていたT助教授が顔を上げ、「S教授が手術中に心肺停止で倒れた、弘岡、頼む!」と必死の形相で答えます。
S教授は大学の外科の看板教授で、当時は食道静脈瘤に対する手術を始めとした肝胆膵外科の第一人者でした。銀座でS様といえばS教授が杉良太郎かとの噂があるぐらいハンサムで、活力に満ちた立派な体格で医局員からも大変慕われている事は私も良く知っていました。

 

 突然の心肺停止は、急性の冠動脈閉塞によるのではないかと急ぎ来た循環器のY教授の意見ですが、胸を切り開いた状態でマッサージをしながらカ―テル室に運んで検査をする事には無理がありました。マッサージを続けるT助教授は小児心臓外科が専門で、狭心症,心筋梗塞に対するバイパス手術のエキスパートであるH教授は生憎休暇で留守だったのです。そこで英国でバイパス手術の研鑽を積んできた私に手術のお鉢が回ってきたのでした。
S教授の胸は左胸の肋骨に沿って横に大きく切り開かれており、通常の心臓手術の視野とは異なりますが、私は心臓の表面を走る冠状動脈を指で触れ主たる病変部位を確認し、ここが急に詰まって心臓が止まってしまったと判断し、重要な2本の冠動脈に対して術前の詳細な情報がないままバイパス手術をすることにしました。

 

 手術台の周りにはS教授の医局員が全員集まり、中には泣き出しそうな表情で私の顔を見つめる者もいます。手術室は多くの先生で溢れんばかりで、Y病院長が麻酔医の横から手術を覗き込み「弘岡!何とか頑張ってくれ。」とエールです。幸いな事に2本のバイパス手術はスムーズに終了し、手術室にはほっとした空気が流れました。術中回していた人工心肺装置も止め、心臓の拍動は再開して良好に動いています。通常の心臓手術はそこで胸を閉める操作に入るのですが、ダメージを受けた心臓なので慎重に胸を開いたままで暫く様子を見ることにしました。暫くして心身共に疲れ切った私を察し、同僚が私に休憩を勧めてくれたので手術台を離れて一服していた処、手術室にすぐ来てくれとの連絡がはいりました。手術室に急行すると思いもよらず一旦回復していた心臓が何故か急にへたり、血圧が下がり始めていました。麻酔医が懸命に点滴から様々薬を注入してくれましたが、心不全となった心臓はなかなか戻りません。私は諦めきれず何とかS教授を救いたいとの思いから、独断で補助人工心臓を試みる事を決心しました。

 

 当時埼玉医大にある器械を至急御茶ノ水まで届けてもらう様電話を入れ、快く要請を受け入れてもらいました。時刻は既に深夜0時を過ぎていましたが2時間後人工心臓が到着し、習熟した手技でS教授の弱った心臓に器械を取り付けました。これが日本で最初の補助人工心臓の治験になったのです。その後数時間補助人工心臓による治療を続けましたが残念ながら弱った心臓は回復せず、手術室に集まっていた病院長、循環器教授、S教授の教室員にこれ以上続ける事は無理である事を告げ手術を終えたのです。隣の手術室では、既にS教授が執刀途中の肝臓がん手術を、助手の先生方が頑張って終わらせていました。手術室を出ると、窓からは朝日が射していました。この出来事は、一夜のうちに大学病院中の人々が知る事になりました。多くの視線を浴びながら失意と疲労困憊で、うつむきながら病棟を繋ぐ陸橋を歩いた光景を今でも鮮明に思い出します。

 

 さて、最近人工心臓に関して思わぬ出来事がありました。2年前のある日、前日に来日したという痩せ衰えた英国人の青年が外来にやって来ました。聞いてみるとインド、タイ、ベトナムを経て6週間かけて日本に来たとの事ですが、いずれも空港で寝泊まりした貧乏旅行で、1ヶ月前から胸痛、動悸、息苦しさがあるとの事でした。診察してみるとレントゲンで心臓が拡張し両肺が真っ白の肺炎像で、心電図は危険な不整脈が見られました。待ったなしの状態で、お金がないと嫌がる患者を説得して救急車を手配し大病院に搬送しました。
その後病院からの報告では、この青年は肺炎と心不全の状態で心臓の動きが著しく低下し、心臓の中には大きな血の塊があったのです。病院の医師はこのまま英国への帰国は困難と考え、懸命の治療により何とか手術に持って行き、1か月後に携帯型の人工心臓装置を取り付け、歩行ができるまでに回復させ病院の医師が同行して無事に英国に戻ったという事です。

 

 

 ところで、この貧しい英国青年の治療に要した医療費は〆て5000万円だったそうです。誰がどのように負担したのでしょうか。これからも増えるであろう高度先進医療、高額医療、外国人に対する医療を考える上で貴重な症例になると思われます。

 

 

   森 論外

  

理事長 弘岡泰正

 

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