ちゃんぽんの思い出

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最近故郷のケーブルTVの取材を受けましたが、その際に郷土の味が話題になり、隣町の八幡浜ちゃんぽんを東京の四谷で食べられる事を聞きました。早速暑い最中にお店に出かけ、汗を拭き拭きちゃんぽんを味わいました。瀬戸内のちゃんぽんは豚骨でなくイリコ出汁です。久しぶりの懐かしい味わいに60年も前の思い出がよみがえりました。明治時代に建てられた木造の小学校で小学2年生の担任は若いきれいな女のH先生でした。音楽の時間には教室の足踏み式のオルガンを伴奏して唱歌を皆で歌いました。

 

小学校の最大行事の一つに学芸会と運動会がありました。娯楽の少ない時代で父兄だけでなく地元の皆に楽しんでもらうため、いずれも農閑期に開催される地域の一大イベントでした。その年の学年末の学芸会には生徒に知らされていないサプライズの演目が用意されていました。各学年の歌や劇が進行し、終わりに近づいた時、教頭先生から「本日は先生方がみなさん達のために準備したお芝居をご披露いたします。先生方も頑張りました。ぜひご覧ください。」とアナウンスがあり、舞台袖の“めくり”が捲られると,「夕鶴」とありました。昭和24年に木下順二の戯曲を彼の劇団が初演したお芝居で、百姓の与ひょうに助けられた鶴が彼の女房になり、やがてかなしい別れを告げる話です。

 

今でこそ知らない人はいない有名な物語ですが四国の田舎で演劇情報も少ない時代ですから私たちにとっては初めて見聞きする物語です。幕が開くと舞台は何時の間に作られたのか町の芝居小屋の常盤座でドサ回りの劇団が演じた国定忠治の舞台に劣らない本格的な舞台装置で図工の上手な先生が描いた昔の百姓家に、夕暮れを思わせる照明が投影されています。やがて小さくトロイメライが流れ始めると板張りの講堂の床に引いたゴザの上に座った生徒たちのざわめきが静まりました。舞台袖から私達の3年生の担任となる若くてひょうきんな小柄なA先生が百姓着に身を包んだ与ひょう役で登場しました。生徒や父兄の拍手喝采で顔を真っ赤に緊張したA先生が慣れないセリフをしゃべっていると、“つう”役のH先生が登場しました。着物を着て可憐に振る舞うH先生は美しく、皆は唖然として声も出ません。誰かが「俳優の“千原しのぶ”みたいじゃのう。」とささやいています。最後の鶴が飛び立っていく場面では悪がき達も涙を流し、感動のうちに芝居はおわりました。

 

さて私のクラスにY君という小柄で元気の良い同級生がいました。Y君のお母さんは彼を生んで直ぐに亡くなり、御父さんは石工で生計を立て、歳のあまり離れていないお姉さんが小学生ながら家事を仕切りY君の面倒を見ていました。母親のいないY君はH先生を慕っていましたが学芸会が終わりH先生が遠くの小学校に転勤となり先生と別れなければならないと決まったある日、Y君から先生の家に遊びに行きたいので一緒に行ってほしいと告げられました。“つう”役の先生に幼ながらに切ない恋心を抱いたようでした。

 

H先生のお家は少し町から離れた山間の小川が流れている村にありました。住所もわからないままに親に内緒でバスに乗りました。ちょうど「3丁目の夕日」の映画で一平君が龍之介君の母親さがしに付き合って電車に乗る場面がありましたが同じような状況です。山間の冬の陽は3時頃には陰り、早春とはいえ肌寒く二人とも心細くなってきました。やがて人気のない田舎道を向こうから歩いてくるお百姓さんがあり、先生のお宅を聞いてみると偶然知り合いで、連れて行ってくれました。お訪ねすると先生はびっくりして「生徒が訪ねてくれたのは初めてよ。お家の人には言って来たの?」と少しとまどった様子でした。

 

先生はお母さんと弟さんの3人で小さなお芝居の与ひょうの様な家につつましく暮らしていました。H先生はY君の家庭の事情もよくわかっており、Y君の先生に対する気持ちもわかっているようでしたが、「先生の処に訪ねてきてくれたのは嬉しいけど、遠い所へ親に内証で来てはだめよ。今回の事はお二人のお家の人には心配するといけないから言わないでおくから」と先生のお宅への突然の訪問の失礼をやんわりと諭されました。そしてお腹がすいたでしょう。今日は寒いから何もないけどちゃんぽんを食べて暗くならないうちにお帰りなさいと言って先生のお母さんと一緒に台所に立ち、湯気の立つ野菜一杯でイカのしっぽの入ったちゃんぽんを作ってくれました。私たちはふうふう言いながらおいしいイリコ出汁のちゃんぽんを頂きました。

 

さてその後、年を取るにつれY君とも疎遠になりました。彼は中学を卒業すると関西方面に就職しましたが風の便りで道を踏み外したとの事でしたが立派に更生し、故郷でバーを開きました。同窓生や当時の先生達のたまり場で地域の世話役で皆に好かれ、30年程前に店を訪れた時は大歓迎で同級生たちを呼び寄せてくれました。彼の自慢の娘は東京の大学を出て学校の先生になったそうです。彼のH先生への思慕が伝わったのかもしれません。・・・・・・・・というような事を思い出している内に八幡浜ちゃんぽんはわずかに汁を少し残すのみになっていました。 H先生はどうしておられるだろう等と考えながら店を出ると一瞬涼しい風が額を通り過ぎてゆきました。

真夏の午後の事でした。

 

 

理事長 弘岡泰正

最近故郷のケーブルTVの取材を受けましたが、その際に郷土の味が話題になり、隣町の八幡浜ちゃんぽんを東京の四谷で食べられる事を聞きました。早速暑い最中にお店に出かけ、汗を拭き拭きちゃんぽんを味わいました。瀬戸内のちゃんぽんは豚骨でなくイリコ出汁です。久しぶりの懐かしい味わいに60年も前の思い出がよみがえりました。明治時代に建てられた木造の小学校で小学2年生の担任は若いきれいな女のH先生でした。音楽の時間には教室の足踏み式のオルガンを伴奏して唱歌を皆で歌いました。

 

小学校の最大行事の一つに学芸会と運動会がありました。娯楽の少ない時代で父兄だけでなく地元の皆に楽しんでもらうため、いずれも農閑期に開催される地域の一大イベントでした。その年の学年末の学芸会には生徒に知らされていないサプライズの演目が用意されていました。各学年の歌や劇が進行し、終わりに近づいた時、教頭先生から「本日は先生方がみなさん達のために準備したお芝居をご披露いたします。先生方も頑張りました。ぜひご覧ください。」とアナウンスがあり、舞台袖の“めくり”が捲られると,「夕鶴」とありました。昭和24年に木下順二の戯曲を彼の劇団が初演したお芝居で、百姓の与ひょうに助けられた鶴が彼の女房になり、やがてかなしい別れを告げる話です。

 

今でこそ知らない人はいない有名な物語ですが四国の田舎で演劇情報も少ない時代ですから私たちにとっては初めて見聞きする物語です。幕が開くと舞台は何時の間に作られたのか町の芝居小屋の常盤座でドサ回りの劇団が演じた国定忠治の舞台に劣らない本格的な舞台装置で図工の上手な先生が描いた昔の百姓家に、夕暮れを思わせる照明が投影されています。やがて小さくトロイメライが流れ始めると板張りの講堂の床に引いたゴザの上に座った生徒たちのざわめきが静まりました。舞台袖から私達の3年生の担任となる若くてひょうきんな小柄なA先生が百姓着に身を包んだ与ひょう役で登場しました。生徒や父兄の拍手喝采で顔を真っ赤に緊張したA先生が慣れないセリフをしゃべっていると、“つう”役のH先生が登場しました。着物を着て可憐に振る舞うH先生は美しく、皆は唖然として声も出ません。誰かが「俳優の“千原しのぶ”みたいじゃのう。」とささやいています。最後の鶴が飛び立っていく場面では悪がき達も涙を流し、感動のうちに芝居はおわりました。

 

さて私のクラスにY君という小柄で元気の良い同級生がいました。Y君のお母さんは彼を生んで直ぐに亡くなり、御父さんは石工で生計を立て、歳のあまり離れていないお姉さんが小学生ながら家事を仕切りY君の面倒を見ていました。母親のいないY君はH先生を慕っていましたが学芸会が終わりH先生が遠くの小学校に転勤となり先生と別れなければならないと決まったある日、Y君から先生の家に遊びに行きたいので一緒に行ってほしいと告げられました。“つう”役の先生に幼ながらに切ない恋心を抱いたようでした。

 

H先生のお家は少し町から離れた山間の小川が流れている村にありました。住所もわからないままに親に内緒でバスに乗りました。ちょうど「3丁目の夕日」の映画で一平君が龍之介君の母親さがしに付き合って電車に乗る場面がありましたが同じような状況です。山間の冬の陽は3時頃には陰り、早春とはいえ肌寒く二人とも心細くなってきました。やがて人気のない田舎道を向こうから歩いてくるお百姓さんがあり、先生のお宅を聞いてみると偶然知り合いで、連れて行ってくれました。お訪ねすると先生はびっくりして「生徒が訪ねてくれたのは初めてよ。お家の人には言って来たの?」と少しとまどった様子でした。

 

先生はお母さんと弟さんの3人で小さなお芝居の与ひょうの様な家につつましく暮らしていました。H先生はY君の家庭の事情もよくわかっており、Y君の先生に対する気持ちもわかっているようでしたが、「先生の処に訪ねてきてくれたのは嬉しいけど、遠い所へ親に内証で来てはだめよ。今回の事はお二人のお家の人には心配するといけないから言わないでおくから」と先生のお宅への突然の訪問の失礼をやんわりと諭されました。そしてお腹がすいたでしょう。今日は寒いから何もないけどちゃんぽんを食べて暗くならないうちにお帰りなさいと言って先生のお母さんと一緒に台所に立ち、湯気の立つ野菜一杯でイカのしっぽの入ったちゃんぽんを作ってくれました。私たちはふうふう言いながらおいしいイリコ出汁のちゃんぽんを頂きました。

 

さてその後、年を取るにつれY君とも疎遠になりました。彼は中学を卒業すると関西方面に就職しましたが風の便りで道を踏み外したとの事でしたが立派に更生し、故郷でバーを開きました。同窓生や当時の先生達のたまり場で地域の世話役で皆に好かれ、30年程前に店を訪れた時は大歓迎で同級生たちを呼び寄せてくれました。彼の自慢の娘は東京の大学を出て学校の先生になったそうです。彼のH先生への思慕が伝わったのかもしれません。・・・・・・・・というような事を思い出している内に八幡浜ちゃんぽんはわずかに汁を少し残すのみになっていました。 H先生はどうしておられるだろう等と考えながら店を出ると一瞬涼しい風が額を通り過ぎてゆきました。

真夏の午後の事でした。

 

 

理事長 弘岡泰正

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