ランドセル

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3.11の記念日の新聞に引き取り手のない大量の被災者の身の回りの物の写真が載っていました。その中に様々な色のランドセルの写真が載っていました。

 

その写真を見ていると60年以上も昔のランドセルの記憶が真新しい革の匂いとともに甦ってきました。軍医だった父は公職追放されたため、勤務医として働く事が出来ず、先祖の土地である四国の山に囲まれた田舎の町で医院を開業していました。朝から晩まで働きづめで買い物に行くことなど無い父でしたが小学校に入る私のためにランドセルを買に行く事になりました。田舎町の鞄屋には帆布性の肩掛け鞄や背にあたる部分が無数の三角形の毛穴で鞣されたブタ革のランドセルしかなく、高級なランドセルで勉強が出来る子供になることを大いに期待した父は土曜日の診療が終わった後,汽車で2時間ばかりかけて県庁所在地の街にランドセルを買いに行くことになりました。

 

久しぶりに都会での買い物に大張り切りの母と父との3人で蒸気機関車に乗りました。 私の住む田舎の町は舗装されてなく、時々オート3輪車が土煙を上げて通り、馬が糞を垂れながら荷車を曳いていましたが、都会の街は路面電車が通っており、綺羅なネオンが眩しく輝いていました。両親に手をつながれて歩きながら喫茶店から流れてくるコーヒ―や甘いお菓子の匂い、生薬の店の漢方薬の香り、行きかう大人達のポマード、たばこ、香水等の街に漂う初めて経験する匂いとお買い物に心が躍ります。 デパートやいくつかの専門店を回っているとすっかり日が暮れて雨が降って来ました。

 

3月の雨は少し生暖かくすっかり春めいています。ある店で父は黒い牛革のランドセルを気に入り、私に背負ってみろと言いました。お店の人にランドセルを背負わせてもらうと父も母も満足そうに微笑んでいます。これでいいんだねと聞く父にうんとうなずきました。背中からプーンと新しい革の匂いがしてきます。私はうれしくて一瞬、突き上げるエクスタシーの様な感覚が体をこみ上げた気がしました。買い物をした後、私の名前の一文字が入った泰明軒という中華料理屋に雨宿りを兼ねて入りました。見たこともない料理がターンテーブルに運ばれ、お腹いっぱいになりました。少しお酒の入った両親は上機嫌で店を出て、雨あがりの道を3人で歩いていると道端の易者に呼び止められました。 易者曰く、「ご両親!この子は良い星の下にうまれておんなさる。天皇陛下以外なら何にでもなれる可能性があるけん大事に育てなはいや。」等と言うものですから母はすっかり気をよくして見料をはずみましたが、金を受け取ると易者は「何にでもと言う意味は乞食にもなれるという意味じゃけん気を付けにゃいけんぜ。」と言われ一杯食わされたのでした。

 

その後の事はあまり覚えていませんが最も歓びに満ち幸せだった一時が鮮明におもい出されるのです。 私は小学校6年時には175cmに身長が伸び、それ以降現在まで変わっていませんが、当時の私の背中でランドセルは蝉がとまっているようだと言われ嫌でたまらず早く中学生になって手提げ鞄を持ちたいと思っていました。用済みになり使い古したあの思い出のランドセルはその後どこに行ったのかわかりません。

 

 

理事長 弘岡泰正

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