三日月と明けの明星

 10月初旬の朝、起床して窓を開けた家内が「みて、みて!」と感嘆の声を上げて未だベッドの中にいる私に早く窓の外をみる様、促しました。
清涼な空気の中、白々と明けゆく払暁の東の天空に鋭利な刃物の様な三日月と古来より五芒星として図案化された明けの明星が並んで輝いています。息を飲む神秘的な光景にラジオからは日本中のリスナーの感動のレポートがリアルタイムで次々と流れてきます。

 

 この三日月と並んだ五芒星の図柄はオスマン帝国の国旗として用いられ現在ではトルコをはじめとしたイスラム諸国の国旗に取り入られています。満月にはウミガメやサンゴが一斉に産卵するなど自然界には月に纏わる神秘的な現象が多く知られています。この三日月と五芒星にどのような自然界の現象が関係するのか承知していませんがイスラム教徒でない私達も思わず手を合わせたくなる神聖な気持ちになる景色でした。

 

  ところで私は子供の頃から「アリババと40人の盗賊」や「アラジンの不思議なランプ」等のアラブ物の絵本が大好きで、長じてはピーター オトゥール主演の映画アラビアのロレンスに魅せられ、広大な砂漠をグドラというスカーフにイガールという鉢巻の様なバンドを巻き西洋寝巻の様な白長いシャツを着てラクダに乗り旅をする事が夢でしたが学生時代の1967年にエジプトに行く機会が有りました。当時は世界中が米ソ冷戦の中不穏な空気に包まれ、東欧ではプラハの春を謳うチェコにソヴィエト軍が軍事侵攻し、パリではカルチェラタンで学生が激しく警察とぶつかり敷石を投げてデモを行い、日本では五木寛之の「蒼ざめた馬を見よ」や「デラシネの旗」に触発された若者が世界を目指して放浪の旅に出る一方、東大闘争をはじめとする学生運動が激しくなる前夜で、多くの学生達が真剣に世界や国家を論じていた時代でもありました。

中東情勢は丁度第3次中東戦争の頃でしたが私が降り立った夜のカイロはイスラエルの空爆に備えて空港から市街地までの道路は灯火管制で真っ暗です。道路脇には土嚢が積まれて機関銃の台座となり暗闇から兵士が我々の乗った車内が真っ暗のおんぼろバスに監視の目を向けていました。一瞬えらい所に来てしまったと緊張しましたがバスの道々、満天に見たこともない鮮やかさで無数の星が空いっぱいに輝いていまいた。古代エジプトの民も見たであろう圧倒的スケールの星空を悠久の時を経て目にする感動を味わいながらアラブを舞台にした一昔前の映画に出てくるようなホテルに到着したのです。バスから降り立つと街には乾いた埃っぽい空気の中に屋台の食べ物やラクダ等のケモノの混ざり合った匂いが漂い何やら大声で議論する人々のざわめきに、いよいよあの憧れの異国に来たのだとの思いが込み上げてきました。

 

 しかしながら歓びもつかの間、ホテルの部屋の入ると何やら田舎の肥溜の様な臭いが充満していました。電気をつけるとトイレからワーンと一斉に無数のハエが飛んできました。
水洗トイレが故障らしく何と前の泊り客の大便が便器の中にそのままになっています。
丁度便意を催し部屋に入ってトイレに急行するつもりだったので我慢が出来ずに便座に尻を浮かして鼻をつまみながら重ねグソという羽目になりました。物語や映画で知り得なかった苛酷な現実に遭遇したのです。開発途上国のトイレではその後、内モンゴルの大草原のゲルの簡易トイレで気持ち良く排便していた処、何やら後ろに気配を感じて振り返ると私の排せつ物を狙っている大きなブタと目が合い思わず肛門が締まった事がありました。臭い話のついでに学生時代、下宿のポットン便所のトイレに入っていた時、ちょうど台風の強風で便所の壁が壊れて私の上に倒れかかり、しゃがみこんだ尻丸出しで必死に両手で壁を押さえながら用を足した事があり、これが私の恐怖の三大トイレ体験です。

 

  話がおかしな方に脱線しましたが、エジプト旅行ではロマンあふれる神秘的な美しさと共にあまり思い出したくない不快な生活環境の相違も経験したのです。出不精の父がいつも世界旅行は茶の間のテレビで「兼高かおる世界の旅」を見れば十分と言っていました。若い頃の私は好奇心や冒険心が旺盛でその後も懲りずに嫌がる女房を連れて人の行かない処へ旅行していましたが歳をとると何となく父の気持ちもわかる様になりました。

 

 さて三日月と五芒星を見ている内に昔知り合った中東出身者の友人達の顔が次々と浮かんで来ました。英国留学中に同僚であったでリビア出身の陽気な巨人のFEはドイツと英国で医学教育を受け心臓外科部門のシニアレジストラであった私の下でレジストラとして働いていました。またエジプト出身のAAはFRCSという英国医師会認定専門医の資格を有しながらチャンスがなく心臓外科部門のSHOという下働きの研修医に甘んじていましたが彼等2人は初対面から高い指導的立場にあるものの言葉に不自由して苦労していた私を助けてくれました。

自己主張が強く攻撃的性格なスタッフも多い心臓外科の人間関係は複雑でした。私を助けてくれる人がいる一方で露骨に足を引っ張る者もおり、日本人に対して特別な感情を持っていたのか私の下では働きたくないと病院を移っていった英国人の研修医もいました。やはり私の下でレジストラとして働き今や英国を代表する心臓外科の教授となったイタリア出身のGAの結婚式で美しい花嫁をバラに例えた即興の詩を披露して喝采を浴びたFFはその後母国に戻り一時期政争に巻き込まれて処刑されたらしいとの噂を耳にしましたが数年前にリビアの心臓外科学会の大御所として活躍している事を知り嬉しく思いました。エジプト人のAAはその後心臓外科医の道を諦め奥さんと英国でGP(総合診療医)として開業しましたが15年程前知り合った時幼かった彼の子供のHがロンドン大学の医学生となり海外渡航研修プログラムを日本で受けたいとのことで我が家に宿泊し妻がアレンジしたいくつかの病院で研修をして帰りました。

 

 イスラム教の戒律を厳格に守りながらも宗教の異なる我々にも寛容で心から信頼して親切にしてくれたアラブの友人達がいる一方、新聞TVでは連日彼らと同じような顔をした悲惨な多くの難民達やISの狂信的兵士達の映像が流れてきます。彼らの様に一神教ではなく正月やお酉さまに神社に参り、結婚式はキリスト教の教会で済ませ、葬式では坊さんのお経を聞き、クリスマスやハロウィーンを自らのお祭り行事としてしまう我々日本人には到底理解できない事ですが、かの地にいつの日か平和が訪れることを祈らずにはいられません。そのような事を想っている間にいつの間にか朝焼けの空から三日月と明けの明星はすっかり消えてしまい、朝雲の間から日輪が輝き始めていました。

 

 

理事長 弘岡泰正

 

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