中江藤樹先生のお話

 先日ある新聞で江戸時代に近江聖人と謳われた陽明学者の中江藤樹が非常にできの悪い弟子を苦労して医者に育て上げた話が載っていました。

 

 

 

 中江藤樹は私の故郷の伊予の国の大洲藩に仕えていた学者ですが、地元の人々にとっては老若男女を問わず何が偉いのか良く分からないながら?饅頭やせんべいに名を留めてはいないものの今でも敬愛の的です。私が小学校に上がる前、御用聞きの自転車の後ろに乗せてくれて可愛がってくれた特攻隊帰りの魚屋のアンちゃんが、「この町には藤樹先生の教えの御蔭で泥棒はおらん。」と教えてくれましたが、これは陽明学の性善説の聞きかじりだったのかも知れません。

 

 

 

 今は河岸工事で無くなってしまいましたが 当時、町の中心を流れる川岸の巨木に寄り添うようにして建ち川の上にせり出した不思議な家があり、姿かたちがどう見ても河童そのものの妖怪のような人が住んでいましたが、なんとこの方は地元の藤樹研究の第一人者の高校の歴史の先生であり、しばしば伝道師のごとく私達子供に、藤樹先生の遺訓を聞かせてくれました。大いに感化された私は藤樹子供会というボランテイアグループに入り、休みの日には箒を持って城山の藤樹先生の銅像の掃除に行きました。小学生の頃、先生から教わった知行合一、口耳の戒め、知良致、上善如水(酒の名前になっていて驚きました。)などの藤樹の言葉は今でも心の中にあり、私の処世訓になっています。

 

 

 

 さて藤樹先生が出来の悪い弟子に精魂尽き果てそうなった話は初めてでした。武士の子供だったそうですがあまりに能力が劣り、武士にはなれそうもないという事で医者にでもしようと親が考え藤樹先生に弟子入りを頼んだそうですが、押しかけ弟子は聞きしに勝る物覚えの悪さだったそうで医学書を2,3句理解するのに午前10時から午後4時までかかり、夕食後にはすっかり忘れていたという事ですが、このところすっかり物覚えの悪くなった小生は何やらこの地元の大先輩が他人には思えず、親近感を感じてしまいました。

 

 

 

 この大先輩はその後、藤樹先生の薫陶宜しく、めでたく医者になり、その後弟子まで育て上げたとの事ですから見上げたものです。当時は箸にも棒にもかからないアホが医者になったのでしょうか?それはともかく頭の悪さではおそらくこの大先輩に勝るとも劣らない小生にとってはこの話は大変励みになりました。藤樹先生の教えを守れば何とかなります。

 

 

 

 藤樹先生万歳!

 

 

 

 

理事長 弘岡泰正

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