墓碑銘

 今年は日本国民にとって大変な1年でしたが、個人的にも接点のあった有名人が何人かあの世に旅立ちました。そのうちの一人はSF作家の小松左京さんです。30年前の駆け出しの医者の頃、父に勧められて読んだ、復活の日というパンデミックウィルスで世界が滅亡するSFですが、大学の授業で習ったウィルス学や公衆衛生学よりもはるかに勉強になり、他の医師にも一読を進め、本を貸したのが縁で家内と結婚しました。その後小松作品を読みふけり、大ファンになりました。5年ほど前、思いがけず小松氏と親しいK氏の紹介で、小松氏が定宿にしているホテルで4~5人の打ち解けた仲間の会に招かれ、楽しい時を過ごしました。小松氏は大変なヘビースモーカーで知られ、すでに重症のCOPDでかなり呼吸が苦しそうな様子でしたが、日本沈没のリメイク映画の公開前で、「主役を草彅君にしてよかった。」といったうちわの話や、大阪万博の頃に事務所にいち早く取り入れたコンピューターの話、沖縄の海底に存在するらしい、とんでもない地層の話を楽しく聞かせていただきました。先日行われた小松先生を宇宙に送る会に招待され、我々夫婦の写真は他の出席者の写真とともにCGのロケットの噴射ガスとして宇宙に飛んでいきました。

 

 

 

 不祥事の最中に急死した相撲の鳴門親方の事も驚きでした。昔住んでいた近くの鍋屋横丁に四国屋という旨いうどん屋がありました。ある日、狭い店内の我々夫婦の隣に大きな相撲取りが2人入って来て、小さな椅子に座りました。関脇時代の隆の里と付き人でした。私たちが医者であることがわかると糖尿病だった彼は「自分は食事には気を付けているんです。」といってうどんをうまそうに平らげ、いろいろな話をした後に千秋楽には部屋にぜひ遊びに来てくださいと招待されました。その後何回か会っているうちに、彼は横綱になってしまいました。「おしん横綱」と言われ苦労の多い力士でしたがまじめな人柄で私は好きでした。なぜか結婚式にまで招待され、祝儀をいくらにするか医局の連中に相談したところ、3万円でいいんじゃないのという無責任な意見に従い受付に並んで世間知らずで薄い祝儀袋を差出した処、後に並んでいた千代の富士が分厚い祝儀袋を出し、あまりの違いに恥ずかしい思いをしました。引退した後部屋を起こし、定期的に「お近くに大きなお子さんがいたら紹介してください。」というはがきが来ていましたが、その後私も相撲から遠ざかり、彼の事もすっかり忘れていました。彼の古風な厳しすぎる指導は色々批判がありましたが、稀勢の里が涙を流して亡き親方に感謝している様子を見て、彼は本当に相撲界のよき指導者だったのだと実感しました。 「イヨッ! 隆の里~!」

 

 

 

 立川談志の訃報も寂しい気持ちになりました。25年程前、歯科医の妹が勤めていた歯科医院の患者だった関係で、文芸春秋の一期一会というタイトルのグラビアに談志と妹が一緒に載りました。彼が国会議員になった後、盆、正月の帰省の航空券が取れず苦労したとき、妹が談志先生にお願いしてくれ簡単に切符が取れ驚きました(良かったのかな?)。その後銀座のMというバーでお会いした際に、あの傍若無人ぶってる師匠が意外に紳士的で驚いたものです。彼の顔面神経麻痺のように口を曲げながらの毒舌や、飴玉を口に含み泡を食ったような話しぶりは時に閉口しましたが、じっくりもう一度、芝浜や居残り佐平次を聞きたかったなあ。 「イヨッ! 日本一!」

 

 

 

 

 今年は開院以来、私達のクリニックを頼りにして頂いていた古くからの患者さんが21名お亡くなりになり、個人的には心臓外科の恩師、知人、大学時代の友人が亡くなりました。

心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、来年は良い年であることを願っています。

 

 

 

 

理事長 弘岡泰正

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