夏の思い出

 この夏、高校の恩師の喜寿と我々の還暦記念の集まりのお知らせをもらい、墓参を兼ねて久々に故郷を訪れた。かつて父親が内科医院を開業し、木々に囲まれて芝生の緑がまぶしかった家屋敷は今は無く、砂利土に8月の太陽が照りつける駐車場となっている。

父の死後、廃院となった屋敷は親切な隣人たちが守ってくれ、邸内が荒れないように家庭菜園を作って整備してくれていたためにしばらくの間、無人の家は昔家族が住んでいたままになっていた。父の診察室の机には聴診器と血圧計が置かれ、父が入院のため休診となった15年前の日のままで時が止まったカレンダーが壁にかかっていた。

 

この古い我が家に帰り、庭のクスの巨木の葉をそよぐ風音、せみ時雨、裏の土手を越えて風が運んでくる川面のかすかな匂いに子供の頃を思い、風通しのよい座敷で昼寝する事を帰省の楽しみにしていたが老朽化する建物を“思い出”だけのために維持するには限界があり、小学唱歌の「幾年ふるさと来て見れば・・・荒れたる我が家に住む人絶えてなく。」という”故郷の廃家”の歌詞を次第に現実の問題として認識せざるを得なくなった。 

そして5年前についに家族の思いでの詰まった家屋を取り壊す事を心の中で父に詫びながら決心したのであるがその後、私は更地となった家と庭跡を暫くの間、どうしても見ることが出来ずにいた。そしてこの夏、家人に背中を押され、墓参りと同窓会を兼ねて久々の帰郷となったのである。

 

 

 

 お盆の日、60年前日本の最後の期待を背負った“紫電改”が飛び立ち多くの若者が帰らなかった松山飛行場跡のその日と変わらぬ晴天の空港からタクシーに乗って墓まで行くと身の丈の半分ぐらいに伸びた夏草が繁っており蝉の声を聞きながら草むしりで一汗流し、昔と変わらぬ古寺の井戸水を分けてもらい父と祖母の墓に手を合わせたのである。

 

同窓会は幹事の計らいで集合場所が故郷の駅前という事になっていた。単線の小さなその駅から40年前の春、それぞれの目的とする地に希望と不安を胸に2両編成の列車に乗って皆、旅立ったのであるが、いささかの感傷を持って駅に着くと既に何人か、かすかに昔の面影をしのばせるおじさん(おじいさん?)とおばさんが集まっていた。

凍結乾燥させたワカメは一瞬のうちに解凍されて元のみずみずしい状態に戻るが私たちの記憶の40年の空白はフラシュバックで簡単に少年、少女の顔には戻すことは出来ない。お互いに記憶の糸を手繰りあい、まじまじと顔を見合わせながら確認できるには少しの時間を要した。その後皆で車に分乗し、子供の頃、椎の実拾いに行った八幡山の神社に詣で、恩師の喜寿と我々の還暦のありがたいお祓いを汗をたっぷりかきながら受けた。山を降りる頃には次第に皆の気持ちも打ち解け、昔のままに談笑しながら赤い夕日が校舎を染める母校を訪れた。クラブ活動に励む後輩たちの元気な掛け声を聞きながら構内にある江戸初期の陽明学者、中江藤樹を記念して建てられた至徳堂で裏千家のお茶のもてなしを受け、あまり出来のよくなかった学生時代を偲んだのである。さてその後は皆で昔の町並みを懐かしみながら川べりにある景色の良い料亭まで散策し宴会となった。純情だった高校時代には恥ずかしくて声をかける事も出来ずにいたあこがれの女性たちに挟まれる素晴らしい席で本当に楽しいひと時を過ごしたのである。 

 

 

来年の夏も故郷に帰ろう。

 

 

 

理事長 弘岡泰正

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