人生の途上にて

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 私が医学生だった頃、英国の医者で作家A.Jクローニンの小説が広く読まれていました。Adventures in two worlds(人生の途上にて)やThe citadel(城砦)は私も原著と日本語訳で何度も読み返し、主人公が医学校を卒業して貧しい南ウエールズの炭鉱地方で代診医として働き始め、苦労しながら次第に名声を得て上流階級層の診療を行う名医が集まるハーレーストリートにクリニックを開業するまでの成功談が描かれており、美しいウエールズの山々や豪奢なクリニックを一度は訪れてみたいと夢見ていました。

 

 私は大学を卒業して一般外科研修中に医学雑誌で米国で始まった冠動脈バイパス手術の論文に触発されて心臓外科医をめざし、大学の心臓外科の教室に入局しましたが当時は我が国の心臓外科のレベルは欧米に比して立ち遅れており、一度は海外で腕を磨きたいと思っていました。しばらくして私の「人生の途上」である30代の後半に偶然にも英国のウエールズの大学病院で、心臓外科部門のセカンドであるSenior Registrar(上級登録医)として従事する事になったのです。

 

 英国での手術漬けの毎日は大変でしたが、週末には親しくなった土地の人々と交流し、その中で親しくなり五ヶ国対抗ラグビーマッチのプラチナチケットをプレゼントしてくれた警察署長がおり、ある時ウエールズの炭坑夫であった父親の実家に招待してくれました。サッチャー首相が打ち出した赤字炭坑閉鎖計画で吹き荒れた炭坑労働者によるストライキで炭坑は衰退し彼の弟は酪農に転職していましたが、クローニンが見たであろう昔のままの炭坑の様子や、慎ましくも穏やかなウエールズ人の暮らしぶりを垣間見ることが出来ました。

 

 一方憧れのハーレーストリートには心臓外科の自分用の手術器具を購入しに訪れた折、通りに立ち並ぶ歴史を感じる重厚なクリニック群に威圧されましたが、帰国前に恩師が英国を訪問する事になり、世界的な心臓外科医のドナルド・ロス先生の手術を見学し、彼のハーレーストリートのクリニックを訪問する事になりました。歴史ある建物内部の高い天井にシャンデリアが下がる中で昼間からワインを飲みながらの歓談でしたが、驚く事にその後ロス先生は午後の手術に出かけて行きました。日本なら酔っ払い手術で大変な事になりますが、ショパンのピアノ曲が流れる手術室でロス大先生は難度の高い彼の名前が冠された手術を鼻歌混じりでこなす様子に心から感服しました。

 

 心臓外科から足を洗って30年以上も経ちますが先日、昔の事を思い出しながら古いアルバムを整理しているとウエールズ大学病院時代の写真が出て来ました。多くの外国人医師が働いている職場で表面的には皆友好的でしたが、ボスからこの地域には戦時中に敵対した日本人に未だに良い感情を持たない人がいる事を忠告され、実際に若い英国人の医師が私の下で働く事を嫌がり辞めていったり、私に手術される事を良しとしない患者がいたりしてへこんだ事もありました。しかしながらある事を機会に職場で認められ、受け入れられたと感じる事になったのです。

 

 それは初めて異国で迎えたクリスマスシーズンでした。一般病室もITU(術後管理室)もナースたちがクリスマスの飾りつけを行い華やいだ雰囲気となりました。またクリスマスの催しものとして病院のカフェテリアを貸切り心臓外科病棟のスタッフによる寸劇や歌や踊りが披露されました。3人組の陽気な清掃スタッフの女性たちはそれぞれモップを手にミュージカルメドレーを歌い踊ります。手術室のイケメンのコメデイカルスタッフによるバンド演奏に続き医師、看護師や人工心肺技師達による恒例となっているらしい寸劇が始まりました。

 

 病棟のシスター[主任看護師]から「ヤス必ずパーテーに来てね。お楽しみがあるから。」と言われていましたが、皆それぞれの出し物を考えてこっそり練習をしている様子でした。最初にイタリヤ人心臓外科医のPがスコットランド人のボスに似せて鼻眼鏡で民族衣装のキルトをはきスコットランド国旗を背中に巻いて登場し、独特のアクセントでスタッフに小言を言う物まねを披露しました。やんやの喝采で当のボスもスコッチを飲みながら大笑いしています。次いで英国美人のシスターが顔にスミを塗って陽気なリビア出身の心臓外科医のFの物まねをしました。日々の臨床で「ボス」と言って私を立てて手術の手伝いや回診で英語の下手な私をサポートしてくれた好漢です。Fは薄い茶色の肌ですが、黒すぎる顔のメイクに「おれの顔はマイクロウエーブに入れて焼いたようなアフリカ奥地の顔ではない。」とむくれ顔をからかわれています。

 

 次いで看護師のNが背中に手書きの日の丸をつけて登場しました。病院で臨床に従事している日本人は私だけですから私の物まねにちがいありません。日頃から下手な英語で看護師に指示を出す私の物まねでこれまた大受けです。皆が「ヤス、良く似ているね。」などと寄って来ましたが、からかわれている様な複雑な心境でした。しかしながら私に向けられた皆の暖かい笑顔を見て、異国で日本国旗を背負って頑張っている私の事を認められたのだと確信し嬉しくなったのでした。

  wales4

 

遠い昔の希望に満ちた「人生の途上にて」の私の思い出です。

 

   森 論外

  

理事長 弘岡泰正

 

 

 

 私が医学生だった頃、英国の医者で作家A.Jクローニンの小説が広く読まれていました。Adventures in two worlds(人生の途上にて)やThe citadel(城砦)は私も原著と日本語訳で何度も読み返し、主人公が医学校を卒業して貧しい南ウエールズの炭鉱地方で代診医として働き始め、苦労しながら次第に名声を得て上流階級層の診療を行う名医が集まるハーレーストリートにクリニックを開業するまでの成功談が描かれており、美しいウエールズの山々や豪奢なクリニックを一度は訪れてみたいと夢見ていました。

 

 私は大学を卒業して一般外科研修中に医学雑誌で米国で始まった冠動脈バイパス手術の論文に触発されて心臓外科医をめざし、大学の心臓外科の教室に入局しましたが当時は我が国の心臓外科のレベルは欧米に比して立ち遅れており、一度は海外で腕を磨きたいと思っていました。しばらくして私の「人生の途上」である30代の後半に偶然にも英国のウエールズの大学病院で、心臓外科部門のセカンドであるSenior Registrar(上級登録医)として従事する事になったのです。

 

 英国での手術漬けの毎日は大変でしたが、週末には親しくなった土地の人々と交流し、その中で親しくなり五ヶ国対抗ラグビーマッチのプラチナチケットをプレゼントしてくれた警察署長がおり、ある時ウエールズの炭坑夫であった父親の実家に招待してくれました。サッチャー首相が打ち出した赤字炭坑閉鎖計画で吹き荒れた炭坑労働者によるストライキで炭坑は衰退し彼の弟は酪農に転職していましたが、クローニンが見たであろう昔のままの炭坑の様子や、慎ましくも穏やかなウエールズ人の暮らしぶりを垣間見ることが出来ました。

 

 一方憧れのハーレーストリートには心臓外科の自分用の手術器具を購入しに訪れた折、通りに立ち並ぶ歴史を感じる重厚なクリニック群に威圧されましたが、帰国前に恩師が英国を訪問する事になり、世界的な心臓外科医のドナルド・ロス先生の手術を見学し、彼のハーレーストリートのクリニックを訪問する事になりました。歴史ある建物内部の高い天井にシャンデリアが下がる中で昼間からワインを飲みながらの歓談でしたが、驚く事にその後ロス先生は午後の手術に出かけて行きました。日本なら酔っ払い手術で大変な事になりますが、ショパンのピアノ曲が流れる手術室でロス大先生は難度の高い彼の名前が冠された手術を鼻歌混じりでこなす様子に心から感服しました。

 

 心臓外科から足を洗って30年以上も経ちますが先日、昔の事を思い出しながら古いアルバムを整理しているとウエールズ大学病院時代の写真が出て来ました。多くの外国人医師が働いている職場で表面的には皆友好的でしたが、ボスからこの地域には戦時中に敵対した日本人に未だに良い感情を持たない人がいる事を忠告され、実際に若い英国人の医師が私の下で働く事を嫌がり辞めていったり、私に手術される事を良しとしない患者がいたりしてへこんだ事もありました。しかしながらある事を機会に職場で認められ、受け入れられたと感じる事になったのです。

 

 それは初めて異国で迎えたクリスマスシーズンでした。一般病室もITU(術後管理室)もナースたちがクリスマスの飾りつけを行い華やいだ雰囲気となりました。またクリスマスの催しものとして病院のカフェテリアを貸切り心臓外科病棟のスタッフによる寸劇や歌や踊りが披露されました。3人組の陽気な清掃スタッフの女性たちはそれぞれモップを手にミュージカルメドレーを歌い踊ります。手術室のイケメンのコメデイカルスタッフによるバンド演奏に続き医師、看護師や人工心肺技師達による恒例となっているらしい寸劇が始まりました。

 

 病棟のシスター[主任看護師]から「ヤス必ずパーテーに来てね。お楽しみがあるから。」と言われていましたが、皆それぞれの出し物を考えてこっそり練習をしている様子でした。最初にイタリヤ人心臓外科医のPがスコットランド人のボスに似せて鼻眼鏡で民族衣装のキルトをはきスコットランド国旗を背中に巻いて登場し、独特のアクセントでスタッフに小言を言う物まねを披露しました。やんやの喝采で当のボスもスコッチを飲みながら大笑いしています。次いで英国美人のシスターが顔にスミを塗って陽気なリビア出身の心臓外科医のFの物まねをしました。日々の臨床で「ボス」と言って私を立てて手術の手伝いや回診で英語の下手な私をサポートしてくれた好漢です。Fは薄い茶色の肌ですが、黒すぎる顔のメイクに「おれの顔はマイクロウエーブに入れて焼いたようなアフリカ奥地の顔ではない。」とむくれ顔をからかわれています。

 

 次いで看護師のNが背中に手書きの日の丸をつけて登場しました。病院で臨床に従事している日本人は私だけですから私の物まねにちがいありません。日頃から下手な英語で看護師に指示を出す私の物まねでこれまた大受けです。皆が「ヤス、良く似ているね。」などと寄って来ましたが、からかわれている様な複雑な心境でした。しかしながら私に向けられた皆の暖かい笑顔を見て、異国で日本国旗を背負って頑張っている私の事を認められたのだと確信し嬉しくなったのでした。

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遠い昔の希望に満ちた「人生の途上にて」の私の思い出です。

 

   森 論外

  

理事長 弘岡泰正

 

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