古書「銃後の保健と職業病」と ルーズベルト大統領の最後

INDEX

まず始めに、泥酔した人気タレントがかっぱ巻き状態で逮捕されたニュースを哀れみて一句…。

 

  「飲みすぎてスマッパダカでスマッキに。」

 

この処、お酒で失敗する人が多い様です。皆ストレスで大変ですがアルコールに逃げてはいけません。さて今回のコラムはストレスとも関係する血圧の話です。

 

 

 わが国の高血圧患者は4000万人とも言われ、まさに国民病ですが治療せずに放置している患者さんが多いようです。降圧剤の服用を勧めても「クスリを飲み始めると一生止められないと聞いたので。」という後ろ向きの返事が返って来ます。そこで私たち医師は高血圧を放置した場合の危険をガイドライン等を用いて説得するわけですが、その際よく用いられる話のまくらに高血圧を放置したとされるルーズベルト大統領のエピソードがあります。

 

 

 

 第二次大戦末期のノルマンデイー上陸作戦、選挙、ヤルタ会談などのストレスで大統領の血圧が次第に上昇して300㎜Hgにも達し、ついに脳卒中で亡くなったのです。あまりにも突然のその死は「危険な兆候は認めずまさに晴天の霹靂」と新聞記事に載ったそうですが、主治医のブリューンが大統領の死後25年も経って医学雑誌にその病状を発表しました。

大統領は高血圧・高血圧性心臓病・心不全と診断され、当時としては最新の減塩療法も施されていたとの事ですが有効な降圧処置がなされず亡くなった事になっています。さてこの件に関して誰が言い出した話か分りませんがその頃の高血圧に対する認識として「当時は加齢とともに血圧が上がるのは当然の事で、高い方が身体に良いとまで思われていたようである。」とか「当時は血圧を下げる手段がなかったのは勿論の事、血圧を下げるのはいけない事だという認識があった。」などという話がまことしやかに流布しています。

 

 

 

 ところで最近私は書庫を整理していて昭和13年発行の式場隆三郎著になる「銃後の保険と職業病」という本を手にしました。式場博士は高名な精神病理学者で国府台病院長の職にありましたが山下清を世に出したり柳宗悦やバーナード・リーチ、さらには三島由紀夫とも親交のあった文化人としても知られています。さてこの本が発行されたのは日中戦争の最中でしたが、厚生省公衆衛生院長の東大名誉教授や厚生省の予防局長も序文を寄せており、当時のわが国の予防医学政策に基づいた本であることが分ります。

 

 

 

さてこの書の中に当時の高血圧に関して興味ある記述がありましたので引用いたします。

 

『四、五十歳の頃に突然として襲ひくる病魔の高血圧症に関する一般の関心は近来大いに高まっており、「この頃血圧はどうですか?」が中年以上の人々のお互いの挨拶とさえなっている。そして血圧が少しでも高いとなると心配のあまり医者から医者へ駆け廻つて、注射だ、薬だと日も足りぬという光景が随所にみられる。』

 

…と現在と変わらぬ状況が記されています。また血圧の高い人の死亡率は標準血圧の人よりも高いとして数年後に敵国となるアメリカのノースウエスタン生命保険会社の統計が紹介されています。それによると血圧が年齢に対して10~24ミリ高い者の超過死亡率は69%、25~34ミリの者の超過死亡率は100%、さらに35~45ミリでは145%の死亡率と述べられており、当時から高血圧の危険が十分に認識されていた事が分ります。また健康人の標準血圧として20歳以上の者は年齢の数の1/2に90~130を加えた数を健康の範囲とし、多数の人についての統計によると収縮期血圧120ミリが正常とされ、60歳頃から急に上昇するのが普通のようであると述べられえています。2009年度の高血圧ガイドラインでは降圧目標が診療室で130/85㎜Hg未満、家庭血圧で125/80㎜Hgと設定されましたが72年前に既に今よりも低い標準血圧が記載されている事は驚きでした。そのほかにわが国の糖尿病患者の三分の一は高血圧である事や腎性高血圧症、動脈硬化、脳溢血との関連もキチンと述べられております。

 

 

 

 確かに統計学的な疫学調査はFramingham study以降であり、わが国のデーターも戦後しばらく経ってからの久山研究を待たなければいけませんが、実証の無いいい加減な“また聞き”が一人歩きし、戦前の我が国の高血圧の知識・医療が皆無であったかの論評や、最近になって高血圧の概念が進歩したかのような間違った情報は改めなければなりません。

 

 

 

 実地医療は古くからの連続した流れの中にあります。まさに高血圧医療に関する温故知新の感を深くした古書の発見でした。

 

 

 

 

理事長 弘岡泰正

まず始めに、泥酔した人気タレントがかっぱ巻き状態で逮捕されたニュースを哀れみて一句…。

 

  「飲みすぎてスマッパダカでスマッキに。」

 

この処、お酒で失敗する人が多い様です。皆ストレスで大変ですがアルコールに逃げてはいけません。さて今回のコラムはストレスとも関係する血圧の話です。

 

 

 わが国の高血圧患者は4000万人とも言われ、まさに国民病ですが治療せずに放置している患者さんが多いようです。降圧剤の服用を勧めても「クスリを飲み始めると一生止められないと聞いたので。」という後ろ向きの返事が返って来ます。そこで私たち医師は高血圧を放置した場合の危険をガイドライン等を用いて説得するわけですが、その際よく用いられる話のまくらに高血圧を放置したとされるルーズベルト大統領のエピソードがあります。

 

 

 

 第二次大戦末期のノルマンデイー上陸作戦、選挙、ヤルタ会談などのストレスで大統領の血圧が次第に上昇して300㎜Hgにも達し、ついに脳卒中で亡くなったのです。あまりにも突然のその死は「危険な兆候は認めずまさに晴天の霹靂」と新聞記事に載ったそうですが、主治医のブリューンが大統領の死後25年も経って医学雑誌にその病状を発表しました。

大統領は高血圧・高血圧性心臓病・心不全と診断され、当時としては最新の減塩療法も施されていたとの事ですが有効な降圧処置がなされず亡くなった事になっています。さてこの件に関して誰が言い出した話か分りませんがその頃の高血圧に対する認識として「当時は加齢とともに血圧が上がるのは当然の事で、高い方が身体に良いとまで思われていたようである。」とか「当時は血圧を下げる手段がなかったのは勿論の事、血圧を下げるのはいけない事だという認識があった。」などという話がまことしやかに流布しています。

 

 

 

 ところで最近私は書庫を整理していて昭和13年発行の式場隆三郎著になる「銃後の保険と職業病」という本を手にしました。式場博士は高名な精神病理学者で国府台病院長の職にありましたが山下清を世に出したり柳宗悦やバーナード・リーチ、さらには三島由紀夫とも親交のあった文化人としても知られています。さてこの本が発行されたのは日中戦争の最中でしたが、厚生省公衆衛生院長の東大名誉教授や厚生省の予防局長も序文を寄せており、当時のわが国の予防医学政策に基づいた本であることが分ります。

 

 

 

さてこの書の中に当時の高血圧に関して興味ある記述がありましたので引用いたします。

 

『四、五十歳の頃に突然として襲ひくる病魔の高血圧症に関する一般の関心は近来大いに高まっており、「この頃血圧はどうですか?」が中年以上の人々のお互いの挨拶とさえなっている。そして血圧が少しでも高いとなると心配のあまり医者から医者へ駆け廻つて、注射だ、薬だと日も足りぬという光景が随所にみられる。』

 

…と現在と変わらぬ状況が記されています。また血圧の高い人の死亡率は標準血圧の人よりも高いとして数年後に敵国となるアメリカのノースウエスタン生命保険会社の統計が紹介されています。それによると血圧が年齢に対して10~24ミリ高い者の超過死亡率は69%、25~34ミリの者の超過死亡率は100%、さらに35~45ミリでは145%の死亡率と述べられており、当時から高血圧の危険が十分に認識されていた事が分ります。また健康人の標準血圧として20歳以上の者は年齢の数の1/2に90~130を加えた数を健康の範囲とし、多数の人についての統計によると収縮期血圧120ミリが正常とされ、60歳頃から急に上昇するのが普通のようであると述べられえています。2009年度の高血圧ガイドラインでは降圧目標が診療室で130/85㎜Hg未満、家庭血圧で125/80㎜Hgと設定されましたが72年前に既に今よりも低い標準血圧が記載されている事は驚きでした。そのほかにわが国の糖尿病患者の三分の一は高血圧である事や腎性高血圧症、動脈硬化、脳溢血との関連もキチンと述べられております。

 

 

 

 確かに統計学的な疫学調査はFramingham study以降であり、わが国のデーターも戦後しばらく経ってからの久山研究を待たなければいけませんが、実証の無いいい加減な“また聞き”が一人歩きし、戦前の我が国の高血圧の知識・医療が皆無であったかの論評や、最近になって高血圧の概念が進歩したかのような間違った情報は改めなければなりません。

 

 

 

 実地医療は古くからの連続した流れの中にあります。まさに高血圧医療に関する温故知新の感を深くした古書の発見でした。

 

 

 

 

理事長 弘岡泰正

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